2009年07月23日

今日のテーマスポットは水の都ベネチア

今日のテーマスポットは水の都ベネチア


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ベネチア


マルコ=ポーロの出身地

(↑鎌倉時代の人)

世紀のプレイボーイ、カサノバの故郷である。

(↑江戸時代の人、ナポレオンより少し年上)


カサノバ、映画の題名にもなっている。


イタリアの都市。

水の都、アドリア海の女王などさまざまな異名を持つ。


その起源は定かではないが、

ローマにゲルマン民族が侵入してきた4、5世紀ころといわれている。

いわば、避難民の都市である。


ベネチアはラテン語である。

英語はベニス


ベニスの商人」は英国人シェークスピアの作である。


ベニスは東方貿易といって

中国やインドからの品々を地中海ルートで中央ヨーロッパに運ぶ中継地点として栄えた。

貿易あるところに金融業ありである。


シェークスピアは16世紀の人。

シェークスピアの百年前はまだ新航路が発見される前。

それまで地中海が貿易の中心であった。


名目上は東ローマ帝国の属国でありながら

実質的には独立の都市国家である。

独自に軍隊も持っていたのである。


地中海の支配権争いで海洋都市国家ジェノバとも戦争したりしていたのである。



シェークスピアの時代(コロンブスから約100年後)になると、

アフリカ大陸の西側を回る貿易ルートが開拓されていたため

ベニスはかつてほどの勢いをなくしていった。


ナポレオンの時代、ついにこの海洋都市国家も滅亡することになる。


現在は世界的観光名所である。

ヴェネチアングラスでも有名。


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posted by イブン at 21:55| Comment(41) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月19日

今日のテーマスポットはフィレンツェ

今日のテーマスポットはフィレンツェ


フィレンツェ

イタリアの都市。

サンタ=マリア大聖堂で有名

旅行パンフには必ずこのサンタ=マリア大聖堂が載っている。


この聖堂の天蓋部分の建築には、

レオナルド=ダ=ヴィンチなんかも関わっている。


フィレンツェ=ルネサンスの中心地である。


当時のフィレンツェはイタリアの一部ではなく、

一つの都市国家、一種の独立国である。

隣のベネチア

ジェノバなんかも同様である。


ルネサンスは文芸復興とか再生とか、

いろいろに訳される。


何を復興、再生かというと、

ギリシャ時代の学問とかである。


例えば、コペルニクスやガリレオの地動説は、


コペルニクスやガリレオがオリジナルではなくて、


すでにギリシャ時代には、

地球が太陽の周りを回っているという考えはあったのである。


この考えを提唱したのは、

アリスタルコスというギリシャ人


エラトステネスというギリシャ人は、

地球の周囲の長さを計測している。


紀元前3世紀くらいの話である。


ということは、この時代(紀元前3世紀)にすでに、

地球が丸いという認識に立っていたということである。


ルネサンスはこうしたギリシャ時代の学問が再興した時代である。



フィレンツェは毛織物業と金融業で栄えた町である。

ベネチアが金融業で栄えたように、

フィレンツェもまた金融業で栄えたのであった。



フィレンツェ=ルネサンスのパトロンといえば、

フィレンツェの大富豪メディチ家である。

ロレンツォ=デ=メディチのときその最盛を迎える。


ロレンツォ=デ=メディチの生きた時代にスポットを当てると、

この時代レオナルド=ダ=ヴィンチやミケランジェロ

それに、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている、

「春」の作者で有名なボッティチェリなどがいる。


日本は室町時代、応仁の乱前後の時代である。

そして、同時代イベリア半島(スペインのあるところ)では、

カスティリア王国とアラゴン王国が一つとなり、

スペインという王国ができる。

女王はイサベルである。

コロンブスの航海にお金出したことでも有名。

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2009年07月07日

今日はペルセポリス

今日のテーマスポットはペルセポリス。


ペルセポリス。

ペルセポリスはイランにある宮殿跡である

世界遺産にも登録されている

アケメネス朝ペルシアの都だったところである。

アケメネス朝ペルシアとは、

アレクサンダー大王が東方遠征で打ち破った大帝国のことである。



大帝国である。

その範囲は今のイラン(つまりペルシア)から小アジア(大体今のトルコ)、

メソポタミア地方(今のイラクあたり)、

そしてエジプトまで及んだ。

つまり、オリエント世界の統一というやつである。


アケメネス朝ペルシアの最初の王様は、キュロス二世といわれる人。

救世王という別の呼び名を持つ。

旧約聖書に出てくる人だ。


何を救世したかというと、

バビロンに捕囚されていたユダヤの人たちを解放したことで有名である。紀元前538年。

アケメネスというのはこのキュロス二世の祖先にあたる人である。


キュロス二世がこのアケメネス朝ペルシアの最初の王様である。

アケメネスというのは、キュロス二世の祖先にあたる人である

もともと小さな王国だったのが、

キュロス二世の時代に帝国に発展したわけである。


そんで、この帝国の第3代の王様ダレイオス一世のときに、

この都というか宮殿建設が始まったといわれている。


ダレイオス一世の時代は紀元前6世紀。

アレクサンダー大王が歴史に登場するだいぶ前の人である。


ダレイオス一世の時代のペルシア帝国の西側、

つまり地中海はギリシャ人の世界であった。

ペルシャ戦争はギリシャとこのアケメネス朝ペルシアとの戦争である


日本はまだ縄文時代。

中国は孔子のいたころの時代。(おおざっぱにいって)

インドにはゴ―タマシッダールタという人が生きていた時代である。

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2009年07月06日

今日のテーマスポットはリオデジャネイロ

今日のテーマスポットはリオデジャネイロ

リオデジャネイロはブラジルという国の都市である。

南アメリカ大陸の国である。

ブラジルの首都ではない。

ブラジルの首都は確かブラジリアだったか。

リオデジャネイロはリオのカーニバルで有名なところ。

もともとは、ポルトガルの植民地である。

リオデジャネイロはポルトガル語だったと思う。

意味はリオが「川」という意味で、デは英語のofに当たる。

ジェネイロは英語のjanuaryで「一月」の意。

「一月の川」という意味である。

それでこのリオデジャネイロ、立派な都市であるわけだが、

どのようにしてできたかというと、

ナポレオン時代(日本は江戸時代)にさかのぼる。

フランスの皇帝だった人である。

ナポレオンはエジプトやスペインに軍隊を派遣して戦争をやった人であるが、

スペインの隣はポルトガルであって、

当然このポルトガルも占領されてしまうわけである。

ポルトガルには王様がいて、

その当時植民地であったブラジルに逃避したわけである。

その時に整備された都市がリオデジャネイロだったのである。

平安京遷都ではないが、

戦火をのがれて、一時リオデジャネイロに遷都したわけである。

その後、ナポレオン皇帝失脚。

王様一家はポルトガル本国に戻ることになる。

けれど、皇太子というか王子様だけは残って、

独立宣言をして植民地から独立国家になった。

1822年のことである。

1823年シーボルト(オランダ人)日本の長崎に来るちょと前の話である。

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2009年06月29日

今日のテーマスポットはガラパコス諸島

今日はガラパコス諸島にスポットを当てます。

ガラパコス諸島と言えばダーウィンの進化論で有名なところである。


一体どの辺にあるかご存じだろうか。

実は赤道上の島々なのである。

現在エクアドルという国の一部である。


エクアドルという名前は、

EQUATOR(英語で赤道の意味)のスペイン語だったと思う。

もともとエクアドルのあたりはスペインの植民地であったのだ。

ちなみに、ブラジルはポルトガルの植民地だった。

それだから、ガラパコス諸島で最大の島は、

確かイサベル島だったと思うが、

イザベルといえばスペインの女王である。

コロンブスに航海のお金出した人です。


ガラパコスをダーウィンがおとずれたのは、

1835年のことと言われている。

コロンブスの時代から、約350年後の話である。


乗っていた船はビークル号という測量船である。

ダーウィン(イギリス人)は1831年イギリスを出航、

1836年本国に帰国。


この間、大西洋を横断し南アメリカ大陸を廻り、

つまり南アメリカ大陸の最南端を通って、

赤道上のガラパコス諸島まで辿りついているのである。

そして太平洋を横断して、

オーストラリアのシドニーなんかにも行っている。

さらにインド洋を横断し、

アフリカの南端ケープタウンを経て、再び大西洋を廻ってイギリスに帰

国しているのである。つまり世界一周しているわけである。


ガラパコス諸島をダーウィンが訪れて25年後、

『種の起源』が刊行される。

当時イギリスでは生物は進化しないものと考えられていたため、
 
この本は議論を巻き起こした。


ガラパコス諸島は、

世界遺産(自然遺産)第一号(1978年登録)のひとつである。

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posted by イブン at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

ローマ

久しぶりに書きます。

今日のテーマスポットはローマ

イタリアの首都である。

知らない人はいないと思う。

観光都市としても有名。

ローマの起源は紀元前8世紀にまでさかのぼる

日本は縄文時代

もっとも、このころのローマは帝国というより、

地中海世界の一都市にすぎなかった。

その領土もイタリア半島のローマ周辺に限られていた。

いまのナポリやシチリア島は、ギリシャ人の

植民都市だった
のである。

ローマが帝国と呼べるようになりそして栄えた時期は、

日本のちょうど弥生時代と同じである。



つまりローマ時代=弥生時代なのである。

紀元前3世紀半ばから紀元後3世紀くらいまでである。

紀元後3世紀あたりからローマはだんだん衰退していく。

衰退の原因はゲルマン民族の大移動が原因か。

もう一つの原因にササン朝ペルシアの台頭である。

ササン朝ペルシアは今のイランである。

ペルシア人=イラン人である。呼びかたいろいろある。

このころからだんだんとローマ帝国の繁栄の源泉であった植民がゲルマ

ン民族やペルシアなどに侵略されていくわけである。

結局、

ローマの繁栄というのは植民地からの富の収奪だったわけである。

ローマ法なども、あくまでこの略奪の上に成り立っていたにすぎないと

いうことである。


ローマの繁栄はだいたいここらへんまでである。

3世紀以降は衰退の一途である。

歴史において再び脚光をあびるのは

ルネサンスの時代
まで待たねばなら

ない。

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posted by イブン at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月27日

シルクロードの入口ー今日は中国の敦煌

今日は敦煌(とんこう)である。

敦煌は今の中華人民共和国の一部だ。

もともとは、

遊牧騎馬民族(ゆうぼくきばみんぞく)の支配する地域だった。

紀元前2世紀の終わりごろ、

漢(かん)の武帝(ぶてい)のときに、漢の支配下になる。


日本の弥生時代(やよいじだい)。

エジプトでクレオパトラが歴史に登場する少し前の時代だ。

中国にとってシルクロードへの入り口だった。

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posted by イブン at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月21日

今日は古代エジプトの都メンフィス

エジプトの名所にメンフィスがある。

エジプト文明が始まるのが、

だいたい紀元前3千年ごろ。

そして、このエジプト文明は、

普通、3つの時代に分かれている。

エジプト古王国時代、エジプト中王国時代、

そして、エジプト新王国時代だ。

アブシンベル大神殿のラムセス2世や、

ツタンカーメン王などは、この新王国時代の王様だ。


メンフィスは、

この古王国時代(紀元前3千年から紀元前2200年ころ)

の中心都市である。

古王国時代といっても、ピンとこないだろう。


この時代は三大ピラミッドで有名なクフ王なんかの時代である。

三大ピラミッドのあるギゼー(地名)は、


メンフィスから西へちょっと行ったところだ。

紀元前3千年ころ。

日本は縄文時代。

中国は黄河文明。

オリエント世界では、

エーゲ文明(クレタ文明=クノッソス宮殿で有名。)のころだ。


メソポタミヤ(チグリス川とユーフラテス川の間)地域では、

シュメール文字(楔形文字)で有名な

シュメール人の文明があった。

ギルガメシュ叙事詩なんかで有名な文明だ。

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タグ:オリエント
posted by イブン at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

今日はアフリカのエジプトを題材に

本日のテーマスポットはアレクサンドリア。

アレクサンドリアは、かのアレクサンダー大王が東方遠征の途上、
みずからが征服した所に造った都市です。

同名の都市をエジプトだけでなく、オリエント世界各地につくった。

特にエジプトが有名なだけです。


オリエント世界。

つまり、地中海を中心とした世界。例えば、ギリシャとかエジプト。

加えて、メソポタミ地方(ティグリス川とユーフラテス川の間を中心とした地域)。例えばバビロン(ちょうどいま戦争中のイラクあたり。)とか。

この広大な地域をオリエント世界という。

当時は地域と言うより世界。だから、呼び方もやっぱり世界と言うわけです。

オリエント世界の説明が長くなってしまった。




アレクサンドリアが建設されたのが、

アレクサンダー大王の時代ですから、紀元前330年くらいです。
つまり、日本で言うと弥生時代がちょうど始まったころです。




ちなみに、エジプトといえばクレオパトラ。

クレオパトラの時代は紀元前40〜31年くらい。

日本はまだ弥生時代です。



アレクサンダー大王の時代と300年くらい違います。



アレクサンダー大王の部下にプトレマイオスという人がいて、

アレクサンダー大王の亡き後、エジプトの王様となった人です。



このプトレマイオスの子孫がクレオパトラなのです。

アレクサンダーもプトレマイオスもギリシャ人です。



プロレマイオスの子孫であるクレオパトラもまたギリシャ人なのです。

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posted by イブン at 12:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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